プロローグ
おはようございます、MCの白石純子です
本日のテーマは、邦楽セレクション
“ 森田童子特集 ”
最期の最期まで伝説のまま星になったアーティスト 森田童子 の登場です!
本文中に青字や薄く下線があり、カーソルをその文字に合わせて、指マークに変わればリンクに飛ぶことができます
そしたら、その意味を教えてくれるからね~ (* ˃ ᵕ ˂ )b
皆さん、おはようございます
アシスタントの真行寺(しんぎょうじ)です
それでは、さっそくわたくしの方から、きょうのパフォーマーを
紹介をさせて頂きます
ご紹介するナンバーは、「さよならぼくのともだち」「僕たちの失敗」「たとえばぼくが死んだら」の3曲をチョイスしました!
ご紹介します、森田 童子 です !! (* ˃ ᵕ ˂ )b
記事はUP後も、編集(随時)したり、音楽はセレクションを
増やしたり(稀に)もしているから、見直しても面白いかもね !!
では、皆さん 楽しんでってくださいね (✿╹◡╹)b
ワープ!!. . . . ...............................................
き、きえるぅぅぅ。。。( ̄□ ̄ *)( ̄□:;.:... ( ̄:;..::;.:. :::;... ... .. . . . . . . .
森田童子
森田 童子(もりた どうじ、1952年1月15日 - 2018年4月24日)
日本の女性シンガーソングライター 本名は非公表 芸名は、笛吹童子に由来する
1973年、西荻窪ロフトでライブハウスデビュー、以降、ライブハウスを中心に活動する
1975年10月、シングルレコード『さよなら ぼくの ともだち』で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)からメジャーデビュー
1980年、ポリドールからワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)へ移籍
1975年から1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年のアルバム『狼少年 wolf boy』と、1984年の新宿ロフトでのライブを最後に音楽活動を休止する
2018年4月24日未明、心不全のため自宅で死去 66歳没 遺族から日本音楽著作権協会(JASRAC)に連絡があり、同年6月1日発行の日本音楽著作権協会(JASRAC)会報に訃報が掲載されたことで死去が明らかになった
活動休止後は主婦として暮らしていた、音楽関係者の話として「体調を崩して2017年から入退院を繰り返し、退院後間もなく逝去した」「公表するつもりはなかった」と報道された
カーリーヘア(しかもこれが地毛という証拠もなかった.. 後述)にサングラス、男性的な服装というスタイルが特徴で、レコードジャケットはもちろんコンサートなどでも素顔を見せることはなかった
森田童子は芸名であり、本名は非公開、加えて実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、作品に生活感を滲ませることを避けていた
出身地や生年月日、家族構成などの個人情報を明かすことも少なかったため、本人に関する情報が非常に乏しい
出身地は東京都とされているが、青森県とする資料もある
北海道出身の詩人・笠井嗣夫は、コラム「『森田童子』あるいは、共犯幻想のこちらがわ」で、1980年11月28日夜に札幌市教育文化会館大ホールで開催された森田童子コンサートについて書き、会場で主催者から配布されたチラシに掲載された「森田童子ラフスケッチ」では「1952年に青森で生まれ、1968年 - 1970年の学園闘争の最中に高校生活を送り、友人が逮捕されたことをきっかけとして、1970年に高校を中退
1972年の夏、ひとりの友人の死をきっかけに歌いはじめた」と紹介されていたことを記している
この亡くなった友人をモチーフにした曲が、デビュー曲となる「さよなら ぼくの ともだち」です
ロフト経営者の平野悠は、森田の訃報を受けて書いたブログ記事で「森田童子は私が、1973年の西荻窪ロフトでのデビューから、1984年の新宿ロフトでの引退宣言まで、最初から最後まで見届けた数少ない音楽家だった」と書いています
平野は当時を振り返り「1973年の夏に近い梅雨の蒸し暑い夕方、一人の無名な少女が西荻窪ロフトにやって来てデモテープを1本渡し、『私にも歌えるのでしょうか』と静かに控えめに聞いてきたことを、今でも覚えている」と言います
また平野は森田について「彼女はいつも孤立無援だった。『君の過去に何があったんだ?こんな詩は誰もが書けるものじゃない』と何度か聞いてみたが、彼女はニコッと笑って話題をそらした」「マネージャーの前田氏と結婚したときは悲しかった、前田氏は森田をメジャーにしようとしたが、やはりアンダーグラウンドな歌手だった」とも述べています
さよならぼくのともだち
Released 1975年10月21日「さよならぼくのともだち」
シンガーソングライター 森田童子のデビュー作
1972年の夏、ひとりの友人の死をきっかけに歌いはじめた」と紹介されていたことを記している
この亡くなった友人をモチーフにした曲が、デビュー曲となる「さよなら ぼくの ともだち」である
1978年 松竹映画『オレンジロード急行』挿入歌
ぼくたちの失敗
Released 1976年11月21日